10年以上住んだって、いまだにニューヨーカーじゃない

Old Me, New Me, New York #1

10年以上住んだって、いまだにニューヨーカーじゃない

Contributed by COOKIEHEAD

Trip / 2024.04.02

東京からNYCに移住して11年。ファッション業界で働くかたわら、ウェブマガジン『THE LITTLE WHIM』やその他媒体での執筆を通して社会やコミュニティにまつわる自身の思いを発信し続けるCOOKIEHEADさんが、今までを振り返り、現在を見つめ、未来を想像し、自分のアイデンティティを模索する中で見つけた、「わたし」を見つめ直すためのヒントをお届け。

#1



「10年住めば、君もいっちょまえのニューヨーカーだね」

 よく聞くこれって、どこの誰が言い出したのだろう。そしてそこから、あちこちの都市のいっちょまえ論へと広がりがち。「いや、それはパリジャンの話!この街では、住み始めた日から誰もがニューヨーカーでしょ」「京都は、何年住んだとしても、移住者である限り真の京都人にはなれないんだって」そのどれも、確固たる根拠や出典元は不明なこと……おそらくみんなわかっている。



 私は、2013年にニューヨークに移住した。なので気づけば10年以上、この街で暮らしている。その前はというと、香川生まれ、ロンドン郊外経由(幼少期)の東京育ち。なかでも、大学3年生で中目黒に引っ越すまでの人生でもっとも長い期間を、渋谷区神宮前一丁目、つまりは原宿で過ごした。ちいさかった頃を思い返すと特に、幼稚園や図書館へは竹下通りを歩いて通い、自転車の乗り方は代々木公園で覚え、山手線の「内回り」と「外回り」を理解するより前から「渋谷行き」と「代々木行き」を乗りこなす... 「ど」が3つくらいつく都会っこだった。

 あ、こうやって書くと、まるで「都会育ち度マウント」をとろうとしているみたいだな(その意図はここにはないのだけれど)。ただ事実として、生活や暮らしという点において、私は都会のそれしか知らない(記憶にない)わけで……。

 なのでニューヨークに引っ越すと決めた時、人やものがぎゅうぎゅうの密集度、行き交う交通の忙しさ、変化や刺激が次々と生まれるスピード、新旧のごちゃごちゃ具合などといった要素においては、育った環境と共通項が多く違和感はなかった。むしろその方が安心するくらい。新しい生活を始めることへの不安には押し潰されそうだったけれど、ニューヨークそのものは、きっとすぐ「自分の街」になるだろうと思っていた。



 でも今ならわかる。10年以上経った今なら、わかる。この街を「自分の街」と呼んだり、ニューヨーカーだと自覚するのは、なかなかのことだということ。移住者として10年住み、ニューヨークと寄り添い、この街の「好き」と「好きじゃない」、「良い」と「良くない」、「強い」と「脆い」、「続く」と「消える」などを発見したり経験したり、それらをじっくり観察したり反応していたら、そんなことは言えなくなると私は思うんだもの。だから思い切って、ここでちいさな抵抗として、使い古されたあの言い回しを更新したい。

「ニューヨークに移り住み、暮らす期間が長くなればなるほど、この街のこと、そしてここにいる自分のことは、どんどんわからなくなるばかり」

 なんとも歯切れが悪い。この出典元は、私。根拠は、確固たるものと呼ぶにはあまりに客観性に欠けるけれど、あくまでパーソナルなものとしてこの連載で記していきたい。その第一回目となる今回は自己紹介の役割を持つので、私の今までのニューヨーク変遷を、今後の連載内容のほのめかしも含めてここで。





20代後半で、学生に戻る決心

 2013年の移住は学生ビザで。当時20代後半だった。美術大学パーソンズ・スクール・オブ・デザインの、大学と大学院の間みたいなプログラムでファッションマーケティングを専攻。自分にとっては2つ目の学位をとった。



 授業では、川久保玲や山本耀司、三宅一生などについて論じたり、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を読み小論文を書く機会があった。クラスで唯一の日本出身者であった私には暗黙の期待が向けられ、「ホンモノ」の見解が求められることも。日本から来た者として見る日本のアート(解像度が高いとは限らない)と、そうでない人たちが見るそれ(特定の解像度が抜群の場合がある)の間にすこんと落っこちて、混乱したものだ(ほのめかし その1)。


インターンシップからそのまま就職

 在学中にインターンとして働いていたグローバルファッションブランドに、卒業と同時に就職。百貨店やセレクトショップ、ミュージアムストアなどを顧客に営業とマーケティングを担当した。パリに年に数回出向き、そうするとそこでは自分は「日本の人」であると同時に「アメリカの人」でもある要素が急に強くなっていた。なんだかまた別の存在として、より複雑な演者に切り替わる(切り替えないといけない)ように感じたことも、私のアイデンティティに影響したのを覚えている(ほのめかし その2)。




多様な人々に囲まれる環境、それでもやっぱり自分はマイノリティ

 そのブランドで数年働いたのち、同じ分野でフリーランスに。グローバルに知られるおおきなブランド、ニューヨークローカルのちいさなブランド、どちらも経験してきた。どの職場も、女性の数は管理職も含め多い環境で、クィアの人も、ざっくりと数で見るならば圧倒的マイノリティではない場所にずっといる。そのほかにも、国籍、出身、人種・民族、肌の色、宗教・言語・文化などもとても多様で、複数のバックグラウンドを考慮すると「同じ人」がほぼいない状態であることに気づく。

 すると圧倒的マジョリティは不在になりやすく、それゆえの居心地よさを感じるのは私だけではないと思う。しかし一方でやはり、ふと、「ん?」となる状況にも遭遇してきた。自分がマイノリティであることを忘れた頃にやってくるそれはむしろ、マイノリティであることを忘れるな、という皮肉なリマインダーのようになる(ほのめかし その3)。


Getting Up-close and Personal



 よりパーソナルなこととしては、移住時からずっと一緒にいるパートナーは配偶者になり、私はグリーンカードを取得しアメリカ永住者になった。義家族というものもできた。アメリカと日本の両方で婚姻の届け出を経験し、外国人との婚姻そのものや、外国人と結婚した場合の姓の維持/変更についての両国における考え方の相違を、制度の違いから実感した(ほのめかし その4)。


趣味の読書も、いろいろ考えるきっかけに

 趣味はというと、私は読書が好きで、年間に読む本の数は100冊を超える。手にとるものには、おおきく括るならば、自分にとって近似性が高い「アジアの文学」も多い。そもそも、アジアという括り自体がとてつもなくおおきいのだけど。



 アジア系や日系の人口が少なくないニューヨークで、アジア系の人々に対するヘイトや暴力が急増したここ数年を過ごしてきて、「評価されたり、場合によっては下駄をはかされるアジア系」と「透明化されたり、蔑まれるアジア系」のどちらにもなり得る私たちの存在は、文学そのものやそのトレンドの傾向を通しても、よく見えるように感じる(ほのめかし その5)。





 これらは、この連載で残していきたいことのほんの一部。あれ、なんだかネガティブな内容になりそうな予感を与えているかもしれない。でも正直に言えるのは、ニューヨーク暮らしはきらきらするばかりじゃないということ。きらきらは目につきやすいかもしれないけれど、もしきらきらしているとしても、そしたらその分影が差す部分もあり、そこはじめじめしていたり、ざらざらしていたり。そういうのをすべて含めて、生活や暮らしというものは成り立つわけで... それはどこにいたってきっとそうなように。そしてどれだけ長くいたり多くを経験したとて、新たにまたなにかが出てくる。



 10年以上住んだって、いまだにニューヨーカーじゃない。これから何年住んでも、そう思う気がしている。

 自分を定義するのにニューヨークの名を拝借するには、私はこの街を知らな過ぎる。それを知ること、つまりは「知らないことが多い」のを「知る」ということは、生活や暮らしを長く続けていくうえで大切なステップの一つだとも同時に思う。経験してきたことを振り返りながらそのステップをしっかりと今一度踏む機会に、この連載がなるといいな、と願っている。

 ニューヨーカーじゃない私が、ニューヨークからお届けします。


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