「百聞は一見にしかず」<br>ということは

Seeing is believing

「百聞は一見にしかず」
ということは

Photo & Text: 嶺野 ひなた

Trip / 2022.01.29

Luke magazine special contents #2
今この時代に、僕たちが「旅」について、思うこと。


海外はもちろん国内さえも自由に移動することが難しくなって、どんどん曖昧になってしまった「旅」という行為の価値。 そんな時代だからこそ、僕たちは「旅」について改めて考えてみたい。旅の経験値の少ない、20 歳前後の若者たち10人が語る「旅」についての自由な考察。

最後の「旅」を思い返してみる。高校の修学旅行で沖縄に行ったきり旅行はしていない。

修学旅行然り、家族旅行然り、今までにした「旅」は全部誰かと一緒で、私にとって「どこ」に行くかより「誰」と行くかの方が重要だったような感じがする。

行った場所の記憶より移動中や宿泊先の記憶とか、なに気ない会話とか、そういう小さな記憶の方が鮮明に覚えている。小学校の修学旅行なんて色々なところに行ったはずなのに、泊まった旅館での記憶しか思い出せない。夕食の時間に友達がお刺身に醤油と間違えてソースをかけてしまって大笑いしたことが一番鮮明に記憶に残っているのだけれど、修学旅行での一番の思い出がそれなのか… そんなどうでもいいような記憶ばかりだということが良い思い出なのかもしれないけど。

基本的に私は一人旅をしないから「誰」と行くかが重要だったと思うのだけど、今なら一人旅もしようと思えばすぐに出来る。実際するかは別として。「ひとり」という選択肢が当たり前にあるからこそ、「誰」と行くかという選択肢の意味も強まってくる気がする。

一人旅とは少し違うかもしれないけど、高校卒業後に上京を決めたのも一人旅みたいなものだと思っている。今は「ひとり」で行く選択をして、地元を出て知らない土地で暮らしている。上京したのは単純に文化服装学院に行きたかったことあるけど、なによりも長い人生の中で地元の狭い世界しか知らないのはもったいないんじゃないかと思ったから。いつか地元に戻るとしても、他のどこかで暮らすとしても、広い世界を知っている方が純粋に人生楽しい気がするのだ。

「旅」も同じようなもので、家の中で色んな情報を見たり聞いたりして得る知識や感動と、実際にその場所に行って得られる知識や感動を比べたら、後者の方が間違いなく人生を楽しくしてくれると思う。先人たちが「百聞は一見にしかず」とか「可愛い子には旅をさせよ」とかいうことわざを残しているのだって、きっとそういうこと!

「ひとり」で上京して暮らしてみて、相当メンタルが強くなったと思うし、ホームシックとは縁がないので相当「ひとり」が向いていることもわかったし、もしかしたら一人旅も向いているのかもしれない。そんなこともこうして行動してみなければ知ることができなかったし、「旅」にしたって、実際に行ってみないと知ることができないことがたくさんあるはず。ひとりでも、誰かと一緒でも。

とにかく行ってみないと知ることができないことをもっと体感してみたい。まずはコロナで未だに延期中の高校の卒業旅行のリベンジからかな!





沖縄への修学旅行で撮った写真。


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