HIKER TRASH

歩く、歩く、歩く、そして僕は何も考えなくなる。

ーCDTアメリカ徒歩縦断記ー #4

Contributed by Ryosuke Kawato

Trip / jun.25.2018

森の中の平坦なトレイルを黙々と歩いていた。ポケットからスニッカーズを取り出して齧る。来週には長かったモンタナ州を歩き終え、やっとワイオミング州に入ることができそうだ。カナダから着ているシャツは汗と泥が擦り込まれゴワゴワとした肌触りで、お気に入りのスイムパンツには樹液がこびり付いて取れない。それに対して靴だけは真新しい。先週、穴だらけトレイルランニングシューズを街で買い換えようとしたが、登山用品店が見つからず、仕方なくロードランニングシューズを購入して履いていた。

コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)は、アメリカにある大きな3つのロング・ディスタンス・トレイルの中で最も難易度が高いとされているが、今、僕が歩いているモンタナ州最後の町ライマへ続くトレイルだけにおいては、ただの牧場地だった。



2015年に歩いた西海岸のパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)は、メキシコ国境からカナダ国境まで国立公園内にほぼ一本のトレイルが敷かれており、それをひたすら追っていく感覚があったが、CDTに関してはその感覚があまり無い。CDTはエリアからエリアを牧場や舗装路で強引に繋いでいる。山岳地帯を歩いていると思えば、気がつくと私有地の柵を越えてコソコソと歩く、なんて場面も少なく無い。背の高い木々を縫うようにクネクネと伸びるトレイルを、トレッキングポールでトントンと突きながら歩く。大きな木を巻くように、ふらりと曲がった瞬間、僕は思わず足を止めた。トレイル上の黒い塊が、僅かに動いている。牛でも、鹿でもない。

熊だ。

反射的にバックパックのウエストベルトに下げている唐辛子入りのベアスプレーを取り出し、熊に向かって構える。熊はこちらをじっと見ている。よく見るとそれほど大きくはない。120cm程だろうか。子熊だと母熊が近くにいる可能性が高いが、微妙な大きさで判断が難しい。



毛は黒い。ブラックベアーに違いなかった。ブラックベアーは凶暴なグリズリーと違い、それほど危険な熊ではない。兎にも角にも彼に道を開けてもらわないことには、前に進むことができない。僕はトレッキングポールを高く掲げ、カンカンカンカン! と互いに叩き、音で威嚇する。ところが、不思議そうにこちらを見るだけで、全く動こうとしない。

ちょっと待ってくれ、僕は思った。

そもそも熊は人間が嫌いで、人の気配がするとすぐに逃げてしまう臆病な生き物のはずだ。話が違うじゃないか。いくら威嚇しても何の反応も示さない。埒があかないので、一度距離を取る為に背を向けずに後退しすることにした。恐る恐る下がって行くと、曲がり角の木に隠れて、すぐに見えなくなってしまった。十分な距離をとれたと思われる場所で、警戒しながら時間が過ぎるのを待つ。



8月の強い日差しが降り注ぎ、首元が焼けているように暑い。木陰にそっと身を寄せる。森は小鳥のさえずりさえも聞こえないほど静かだ。15分ほどしてから、僕はそっと来た道を再び歩き始めた。もう流石に熊はどこかへ去っているはずだ。見覚えのある木を曲がり先を覗き込む。

熊はまだそこにいた。

彼は惚けたようにこちらを見つめながら、長い舌を伸ばして鼻をぺろりと舐める。万策尽きた僕は、ポケットに押し込んでいた食べかけのスニッカーズを取り出すと、熊を見つめながら食べた。体温でチョコは溶けている。僕は熊運のない男だった。前回のPCTを5ヶ月ほど歩いていたのにも関わらず、一頭の熊も目撃することはなかった。キャンプ地などで出会うハイカーが、熊との恐怖体験や武勇伝を嬉々として披露している最中、僕はその話の輪に入ることができず、内心、寂しく思っていた。だから、今回は是非とも熊と遭遇し、土産話として持って帰りたかった。

しかし、人生初の熊との邂逅は、なんとも予想していない展開になってる。
ただただ熊を見つめる。恐怖心も高揚感もない。熊がいて僕がいる。それだけだ。

どれくらい時間がたったのだろうか、突如、熊はムクリと起き上がり、気怠そうに首を振ると、ゆっくりとトレイル脇へ移動して、森の中へ去っていった。パキパキパキと彼の足が枝を踏み砕く音が徐々に小さくなり、そして消えた。目の前には、いつも通りの平凡なトレイルが戻り、そして、とても空虚な気持ちになった。彼がまだすぐ近くにいるのではないかと、少し警戒しながら歩く。彼と遭遇した場所から十分な距離が空くと、虚しい気持ちはより強くなった。



トレイルを抜けたハイウェイでヒッチハイクをして、モンタナ州最後の町ライマに到達したのは、2017年8月3日、カナダ国境から歩き始めて44日目、約800km歩いていた。ライマはガソリンスタンドとレストラン、郵便局が併設された食料品店、そして安モーテルが1つだけある小さな町だ。まずは宿の部屋を確保しなければ、とモーテルに向かうと、

「スケッチ!」と大きな声で僕のトレイルネームを呼ばれた。

声の方を見ると、共にグレーシャー国立公園をハイクしたマグパイが郵送物が入った大きなダンボールを持って立っていた。実に1ヶ月ぶりの再会だ。出会った時より、引き締まった体つきの彼女は、段ボールを地面に置くと、こちらに向かって走ってきて、勢いよくハグをした。

「マグパイ! 調子はどう?」
「いい感じよ。 あなたは?」
「最高に疲れてる」
「知ってるわ」

少し前までぽっちゃりとした24歳の彼女は、今や完全に熟練スルーハイカーの雰囲気を醸し出してた。モーテルには彼女以外のハイカー達がたむろしていた。その中には、マグパイの相棒ストークト、そして一緒に山火事から逃避したシュウェップスもいる。他には女医ハイカーのランウィズエルク、スペイン人ハイカーのエスパニライダーもいる。ここまで知った顔が一堂に会しているのは初めてのことだ。みんなバラバラのスピードで歩いていて、もう会えないと思っていたが、どうやら、ここにいる全員はほぼ同じような距離を、日々こなしてきたようだ。ライマがモンタナ州が最後の街ということもあり、ここで全く歩かない日『ゼロデイ』を取ろうと考えるハイカーが多いため、このように集まったのだろう。



モーテルでチェックインを終える。フロントの後方を見ると、ハイカーボックスが設置されていた。ハイカーボックスとは、ハイカーが、不用品をこの中に投げ込み、それを必要とする人は誰でも無料で手にすることができる箱だ。どうせ、たいしたものは入っていないのだろうと思うかもしれないが、実はそうでもない。ハイカーにとっての不用品とは使えないものではなくて、持ち運べない物のことだからだ。なので、この中には衣服、テントのペグ、浄水器、保存食、そしてまだ新しい靴まで投げ込まれていることがある。

CDTではハイカーが少ないこと、また既に厳選した装備を持って歩くハイカーが多いため、ハイカーボックスはあまりなく、あったとしても中がスカスカという場合が多かったが、今回は当たりのようで、60cm四方のダンボール2つはハイカー達の『不用品』で溢れかえっていた。僕は他のハイカーより先に良いものを手にしようと、急いで物色する。



オートミール、ドライベジタブル、ラーメン、調味料、そして絆創膏を拝借する。最後にパタゴニアのフリースがまだ綺麗な状態で置いてあった。必要のない装備であるが、日本で買うと1万円以上するし、もしかしたら何か使い道があるかもしれん、と自分の乞食根性を肯定させ、それらを抱えてコソコソと部屋に退散した。

荷物を放り投げシャワールームに駆け込む、数日の垢なのか泥なのか分からない汚れをゴシゴシと擦り落とす。シャワーを終えて、レインパンツを履き、そして先程拝借したフリースを被る。そして、地面に散らばった汚れた衣服をかき集めて、今度はランドリーへ向かう。それ見ていたシュウェップスは、こちらへ駆け寄ってきた。

「今から洗濯かい?」
「ああ、そうだよ」

僕は手に持っている洗濯物を少し持ち上げてみせた。

「もしよかったら、俺の靴下も一緒に洗ってくれないか? 昨日こいつだけ入れ忘れたんだよ。1度手で洗ったけど、あまり綺麗にならなくてさ」
「もちろん。じゃあ、ついて来いよ」

僕らはモーテルに併設されたランドリーに入ると、相当年季の入った洗濯機に衣服と洗剤を投げ入れ、蓋を閉める。財布から25セント硬貨を5枚取り出し、洗濯機のスロットルに1枚ずつ硬貨を並べ、ガチャン! と中へ押し込んだ。洗濯機は驚いたように、ぎこちなく動き始めたが、すぐに規則正しい音を立てて、回転しはじめた。腹が減っていたので、彼を誘って近くのレストランへ行き、ハンバーガーを頼む。アメリカに来てからいくつのハンバーガーを食べたのだろうか、田舎のレストランは食べ物の種類は少ないが、ハンバーガーと、サラダのドレッシングの種類だけはやたらと多い。

僕とシュウェップスはソーダを飲みながら、ハンバーガーを運ばれてくるのを待つ。

「ところで、おまえ、ストークトと何かあったの?」

ホテルでハイカー達と再会している時に、なぜかこの二人だけ、変な距離感を保っているのが気になっていた。スルーハイカー同士は付き合いの長さに関係なく、基本的にとても仲が良い。もはや親友の様な雰囲気と言っていいかもしれない。僕らは一緒に歩かなくとも、同じ道を共有して、その楽しさも辛さも深く理解しあっているからだと思う。そんな中で二人の空気感はとても異質だった。

「実はスケッチと別れた後に、俺はマグパイとストークトと一緒に歩いていたんだ」

これには少し驚いた。なぜならシュウェップスはハイカーの中でも、歩くのがかなり速い。それに対してカナダの二人組はとてもゆっくりと歩くタイプだ。そして、それだけで何となく、この先の話の結末は想像することができた。

「俺はマグパイと仲良くなりたくて、彼女ばっかりに近づいていたら、ストークトに完全に嫌われてしまってさ……」

どうせ、変なちょっかいでも出そうとしたのだろう。

「マグパイは痩せてすごく可愛くなったよな」
「そうなんだよ」

シュウェップスは、演技くさい渋い顔を作って遠くを見ながら言った。僕は、なんだかしょうもないな、と思いながら、ストローでコップの底に溜まった氷水をズズズと啜り、ハンバーガーの到着を待った。




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