Alexander Weile Klostergaard

Interview File #02

Alexander Weile Klostergaard

Contributed by Haruki Takakura

Trip / 2023.03.31

留学支援、就職支援があるなら、ギャップイヤー支援があってもいいじゃないか。
そんな想いから、様々な*ギャップイヤーの形を伝えるインタビューファイル。

Interview File #02 Alexander Weile Klostergaard



Self Introduction



まだまだ自信はないけど、日本語で自己紹介にチャレンジするよ(笑)
わたしは、コペンハーゲン大学院2年生のアレクと申します。大学院では、Nordic Study(北欧学)について学んでいて、ちょうど、卒業論文を書いている最中です。

日本には何度も行ったことがあって、何回行ったか覚えていないくらい。ぼくはギャップイヤーを2年間取ったんだけど、その間だけで3回も日本に行ったんだ。
そして、初めて日本に訪れた時に『YOUは何しに日本へ?』の人たちに取材されることになって。2回目の日本渡航は、テレビ局の奢りだったんだよ(笑)

ー ありがとう!奢りで日本って、面白いスケールだね(笑)日本語の上手さから、気になる話題まで触れたいところだらけ。でもグッと堪えて、まずはギャップイヤー中にしていたことについて聞いてもいいかな?


〜YOUは何しに日本へ?〜



アレク:もちろん。
僕は、高校を卒業してすぐに2年間のギャップイヤーを取ったんだけど、まず最初は、働くために半年間のギャップイヤーを取ったんだ。
確か、19歳だったかな?この半年間で小・中学校の臨時教師と工場で花のパッキングアルバイトをしたんだ。誰よりも、たくさんの花を箱に詰めた19歳だったんじゃないかな(笑)

そして、バイトで貯金したお金がある程度になったタイミングで、3ヶ月の日本旅行をしたんだ。元々、僕は日本じゃなくて韓国に行きたかったんだけどね。親友ジョナサンの「日本に行こう!日本なら韓国にも寄れるよ!」っていう一言で、日本に行くことになったんだ。

すると、初めて降り立った成田空港で、いきなりカメラとマイクを持った人たちに声をかけられたんだ。びっくりしたよ。

「YOUは何しに日本へ?」って尋ねられて(笑)


ー すごい偶然だね(笑)この時の初来日で、記憶に残っていることってある?

アレク:日本では本当に色々なことがあったけど、特に能登半島の穴水という自然豊かな町で訪れた「磯寿し」というお店での、すごく優しい大将と女将さんとの出会いは今でも心に残っているね。

(アレクとジョナサンは、大学入学後にも「磯寿し」を訪れ、女将さんを巻き込んで『指さし旅 in 東北』を決行する。詳しくは(YOUは何しに日本へ 2019-5-13)


〜自然な流れだった〜



ー なるほどね。少しずつ、ギャップイヤー中の過ごし方がわかってきたよ。
アレクが最初にギャップイヤーを選んだ理由はなんだったの?


アレク:広く開けている選択肢だったからじゃないかな。『自然な流れ』っていうのかな?
デンマークでは、ギャップイヤーはとても主流な選択肢なんだ。あえて、理由をつけるなら「友人がギャップイヤーを取ろうと誘ってくれたから」かな。

決して、適当に選んだということを強調したいのではなくて、誘われたから取っちゃおう!って思えるくらいに簡単にとれる選択肢なんだ。
でも、日本ではとても難しくてネガティブな選択肢だって聞いたから、デンマークとは全く違う環境かもしれないね。たしかにギャップイヤーを取りたいと思う理由はあったけど、自然な流れで、プランも持たずにギャップイヤーを選択したんだ(笑)

唯一あった目的は、『小学校の時に仲良くなった韓国出身のクラスメートに会う』。当初は、たったそれだけだったよ。あ、それが日本じゃなくて韓国旅行に行きたかった理由だよ!

でも、ギャップイヤーは本当に必要な選択肢だったと思う。

僕は高校卒業の時点で、自分が大学でどんなことを専攻したくて、どんな先生のもとで学びたいか、とか、将来の夢や目標が何なのかというとても大切なことを、理解しきれていなかったからね。


〜自分の意思で選んだ2年目のギャップイヤー〜

ー 日本が嫌いなわけじゃなくてよかったよ(笑)
アレクは、ギャップイヤーをとって自分について考える時間が欲しかったんだね。


アレク:そうだね。それでも、1年目の休学を終えた2014年の夏、僕はまだ大学で何を勉強するか決めきれていなかった。だから、もう1年ギャップイヤーを取ることにしたんだ。

それと同時に、すごく音楽へのエナジーも溢れていて、日本でたくさんライブをしてみたかったのも1つの理由だね。だから、2年目のギャップイヤーでは、ALT(外国語講師)として働きながら、友人と一緒に音楽にたくさんの時間を注いだんだ。日本でも、日本語の歌詞をプロジェクターに映しながらライヴしたりしたんだよ。


ー そうだったんだ!なんか2年目について話している今の方が生き生きしてるよ(笑)

アレク:ほんと?(笑)
でも、確かにそうかもしれない。1年目と2年目のギャップイヤーの中での大きな違いは、そのきっかけだからね。1年目のギャップイヤーをとった時は、先生や友達、いわば「周りの影響」が大きな理由だったけど、2年目のギャップイヤーは「自分がしたいことをするため」のギャップイヤーだったからね。

僕にとって、2年目のギャップイヤーは、自分の意思で選択した初めてのギャップイヤーだったんだ。



ー ギャップイヤーを取る前と後で何か変わったことはある?

アレク:あるね、すごく自分に自信がついた気がする。

デンマークから遠く離れた国で生活をするうちに、責任を自分の肩で背負うことが多かったからなのかな。自然と、決断に自信を持てるようになっていたんだ。

それから、海外旅行とか音楽みたいな課外活動をずっとしていたおかげで、外国や学校外の世界(音楽業界)に友達がとても増えたんだ。自分がしたかった音楽を我慢せずにできたこと。音楽を通じて、たくさんの友人が出来たこと。それはギャップイヤーをとって、自分がしたいことをしたからこその結果だと思っているよ!


〜これからしたいこと〜



ー 最後に、ギャップイヤーを通じて色々な経験をしてきたアレクに、今後したいことがあれば聞いてもいい??

アレク:いつか、日本と北欧を繋ぐ仕事がしたいと思っているんだ。
そこに好きな日本酒や畳といった日本の文化もあれば、とても楽しくなる予感がするね;)

それに繋がるかは分からないけれども、秋から日本と北欧に関係する仕事をするんだ!今回は、フォルケホイスコーレの概念を作ったグルントヴィの哲学や彼が書いた歌詞の翻訳をしたりするという仕事を大学院の実習講座でするんだ。

きっと難しい仕事だけど、これまでの日本語を全く話せない状態から、日本語でライブ公演をアレンジできるようになった経験を勇気の種に、日本語を使う仕事にどんどん挑戦していきたいね。


〜最後に〜


奈良県天川村で行われたフォルケホイスコーレについての講義/2022年秋


ギャップイヤーを取りやすい環境は、海外の文化だと切ってしまうこともできる。それでも、自分と向き合ったからこそ『自分の進みたい道』を見つけることができたというアレクの経験は、国や文化に関係なく通ずる話だとも思う。

アレクの「休学をしたから」「日本に来たから」「指差し旅をしたから」という風に、自分の決断が数珠繋ぎのように意味が繋がっていく様は、まさにギャップイヤーの醍醐味な気がした。

ギャップイヤーを通じて、空白の期間を作り上げたことで、ちょっとしたアブノーマルが彼の人生に飛び込む。そして、そのアブノーマルが繋がり、自分の新たな道につながってゆく。


*ギャップイヤー(Gap year )とは
自ら作り出す空白の期間のこと。
この期間に、留学・海外旅行・ワーキングホリデーなど、普段の大学生活や社会人生活ではできないことに挑戦することができる。
現在では、大学入学前/在学中の休学/卒業後も含めて、空白の期間をギャップイヤーと呼ぶことが多い。

*フォルケホイスコーレ
大人の学校とも呼ばれる、北欧独自の教育機関。
試験や成績が一切なく、民主主義的思考を育てる場である。
加えて、全寮制や学費の一部を国が負担してくれるなどの特徴もある。

(この記事は、2021年に行われたインタビューをもとに作成しています)


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